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この二人、なかなかどうして度し難い。
聖杯戦争後の切嗣の5年間の衰弱は人の苦しみや嘆きに悦を見いだす言峰にとってはさぞかし愉悦だったと思うんだけどその弱りっきった姿が逆に美しく見えてたりしたら度し難いアレでそれでこれですねっていう。
4時聖杯戦争で聖杯が破壊され、泥によって蘇った言峰は、放心しながらも炎の中で生存者を探し続ける切嗣を見て「興味を失った」という事になっているけど、興味を失ったにも関わらず戦いの後も使い魔?を放って衛宮邸を監視してたくらいの執着をまだ見せていたという点が結構引っかかる。
そんだけ手の込んだストーキングしてまで見届けたいってよっぽど盲執してたんだなぁと。
言切は言峰が魔力供給をして切嗣を生きながらえさせるっていうパターンが多いしわたしもそれが好きなんですけど、この二人って基本的に相容れない存在っていうか決して最初からお互いに好き合う事ないと思ってるので、ただ言峰が”好意”で魔力を供給をするのではなく、もっと別の理由があるんだろうと考えたり。
そもそも言峰が一番妄執してた切嗣って四次聖杯戦争の時の切嗣だったわけで、弱りきったそれを殺したところで達成感もクソもないから手を下さなかったんかなーと思うわけで...衰弱した仇敵を討ったところで妄執してた時のそれとは違うわけだから「足りない」と感じるんじゃないかなって。
だから自分が一番盲執していた時の切嗣を殺さないと意味がないから、魔力供給ないし治癒を施してやってるんじゃないかなーという答えに行き着いたりしました。
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言峰綺礼の話
言峰は「他者が美しいと感じる物を美しいと感じることができない、人の嘆きや痛みが美しいと感じる」歪んだ感性を持っているわけですが、最初からその感性を受け入れていたわけではなく、自分がおかしいことを理解した上でそれを矯正しようと努力してみたりという部分が若い頃はあったという点。
周りが美しいと思う物が自分には美しいと思えないっていう感性ってそれこそ幼少の時かなりストレスになったんだろうなーって思うんだけど...周囲に対しての疎外感とかもあったのかなーと。
幼い頃からそんな事を感じつつ年月が経つにつれじわじわ捻れていったのかと思うとホント度し難い。
4次の時はまだ信仰心と己の感覚のずれに思い悩んでたけどギルガメッシュが言峰のその本質に気付き導いた?結果、5次ではかなり楽しそうに己の愉悦求めてワッショイワッショイしてたのが印象的でした。
特にFateルートの最終戦とHF全体ではあんな楽しそうなお前Zeroの時には見たことないよ!ってくらい楽しそうだったので個人的にもとても愉悦でした。切嗣の話してるときめちゃくちゃ楽しそうだなお前!!クソッ!!!
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言峰綺礼という人間を知るにはSNをやり込むのが一番だと思うのでZero既読でSN未プレイの方にはぜひSN全ルートをプレイしてほしいです...わたしもかつてはそうだったんですが、クリアする頃にはFateという作品の見方が変わってると思います。特にHFルートは言峰とイリヤのためのルートだと思ってるので、そういう意味でもぜひプレイして頂きたい。
シナリオの厚みはもちろん、BGMも文句のつけようがない良曲ばかりとなっております。
Zeroの主人公で士郎の養父だった衛宮切嗣も回想とか言峰の語り回でいっぱい出てくるので衛宮厨の自分としてもニヤッとする部分も多かったです。ニヤッていうか最早醜悪な笑み浮かべてたんですけど。
ともあれZero好きな方も絶対楽しんでプレイできるはず...!
そんなカンジです。